たにぞうです。まあ、言ってしまえばただのネタみたいなものにマジレスするのもなんですが、「推し」と「嫁」など色々と流れてきて少し思うところがあったので書きました。
結論から言ってしまうとエロゲで疑似恋愛というのはだいぶ無理があるということになります。特に、その傾向は年々強くなっているという風にも考えます。私は、これは異常独身男性側の意識とエロゲの作り両方に依拠する問題だと考えています。理由を述べていきます。
まず、最近のオタクは「嫁」という言葉をほとんど使いません。単に「推し」という言葉が台頭しただけにも思えるかもしれませんが、これら二つの言葉は明確にオタクとキャラクターの関係を違う形に定めています。「嫁」は擬似的に独立した人格を持つキャラクターを自らの伴侶として認めていて、恋愛関係を構築することを目指すことができます。つまり、双方向的な関係を基本とするわけです。反対に、「推し」は偶像としてのキャラクターをただただ愛でる以外の関わり方を想定していません。どこまで行っても一方的なわけです。書きぶりからは「推し」の方が悪いように見えますが、そういうわけではありません。あくまで、「嫁」は(擬似的に)双方向的、「推し」は一方通行の概念ということです。こうした違いから、キャラクターを他者でなく偶像として見ようという意識は年々強まっていると考えられます。nmmnは知らん。
次に、エロゲの作りです。こちらは簡単な話で、主人公のキャラクターとしての存在感が濃いとテーマには沿わないということです。逆に薄ければ異常独身男性向疑似恋愛体験電脳遊戯と言えるかもしれません。個人的にはキャラクターらしい主人公も年々増えているような気がするんですが、全てプレイして数えることができるわけではないので断言はしません。体感でもいいので玄人エロゲーマーは意見を聞かせてください。
とまあそんなわけで、異常独身男性向疑似恋愛体験電脳遊戯たりうるエロゲのほうがそうでないそれより少ないが、まあ物によっては当てはまることも十分にある、というのがいい落とし所ですかね。今後自分が異常独身男性向疑似恋愛体験電脳遊戯という言葉を使う時は内容を考えるようにしたいと思います。何かご意見あればコメントにどうぞ。