1 はじめに
たにぞうです。本当にお久しぶりです。ネタバレはなるべくなしという方針がどれだけ記事の内容の幅を狭めるのかろくに考えずにブログを開設したあの頃の自分を殴り倒したい気分でいっぱいな今日この頃です。
今回の記事は、タイトル通り、2006年2月24日に13cmから発売されたエロゲ『ネコっかわいがり!〜クレインイヌネコ病院診療中〜』(以下『ネコっかわいがり!』)およびその後日談である『WHAT A WONDERFUL WORLD』、そしてさらに後の話である『souvenir』の内容を前提としているため、一つでも触れていないものがある場合はブラウザバックか、あるいは下のリンクから読むことを推奨します。
2 方針
本題に入りますが、全体的にどう捉えるべきかという問題においてこの作品は、プレイ前とプレイ後で印象が大きく変わるタイプであるように感じます。確かに物語の終盤にかけては重い展開も多く、初見では鬱ゲーという安易な表現に基づいた印象が先に立ちやすいでしょう。しかし、実際にはただ暗いだけの作品ではなく、日常の積み重ねや人と人とのつながり、そしてその先にある継承の感覚を描いています。
そのため、本作を語るうえでは、単に鬱というだけで済ませるのではなく、むしろ、どのようにして日常が形づくられ、その日常がなぜ意味を持つのか、そしてその意味が終盤でどう反転するのかを追うことが重要だと感じています。加えて、本作は特定の古典作品を下敷きにしていることが示唆されており、その対応関係を踏まえることで、物語の見え方はさらに変わってきます。
今回はそうした点を踏まえつつ、『ネコっかわいがり!』という作品が持つ、目を向けられづらい側面を中心に感想を書いていきます。
3 感想
『ネコっかわいがり!』は、一見するとケモ耳世界の診療所を舞台にした甘く淫靡な日常劇と、隠された真実によるその崩壊の物語に見えます。ですが、全体を通して読むと、その構造はむしろ、失われることを前提にした共同体の形成と継承の物語として立ち上がってきます。エンドロールで示される『幸福な王子』は、その構造を読み解くための重要な鍵です。しかし本作は、単に王子とツバメの関係をなぞるのではなく、奉仕や犠牲の意味をずらし、なぜ世界を守るのか、なぜ守りたいのかという問いへと接続しています。
まず注目すべきなのは、本作には『幸福な王子』のイメージがかなり丁寧に、工夫を凝らしながら散りばめられている点です。『幸福な王子』では、王子は高いところから世界を見つめ、ツバメは彼の願いを引き受ける存在として描かれます。これに対して『ネコっかわいがり!』では、王子に相当する役割をジャック、ツバメに相当する役割をアリスが担っていると読めますが、作品はその対応を単純に自己犠牲的な英雄譚としては処理しません。むしろアリスの内面や関係性に厚みを与えることで、奉仕する側の感情を前景化しています。
そして重要なのは、本作の真髄が奉仕そのものよりも、何のために世界を守るのかという問いにあることです。ジャックは作中で奉仕の論理をそのまま引き受ける人物ではなく、むしろそれを明確に否定しています。しかし、優作の行動を見ていくと、奉仕の精神に基づいたものと捉えるのは自然なことです。では何が違うのかと考えていくと、彼の過去から現在までの行動原理に重要なヒントが隠れていることが見えてきます。
優作は回想で「自分がやるしかない」と言うように、世界を救うことを義務としてとらえていました。では、彼はなぜ世界を救わなければならないと考えていたのか。それは、やはりアリスの存在が大きいでしょう。当時の状況としては、ほかの適合者を見つけるのは現実的ではなく、世界を救うことは優作自身の死を意味します。それを受け入れた優作は、私情はあれど平等に街≒人々というぼやけた対象を救う王子とは異なり、ツバメ≒世界≒アリスという図式で結果的にはわがままですべてを救う滑稽なヒーローであるという風にとらえることができます。
この決断の結果として優作は記憶を失い、ジャックとして新たな、短い生を歩むことになります。この、ジャックとして生きた時間こそが、彼の変わらぬ行動に重要な意味を与えるものだったと私は考えています。その意味とは、簡単に言ってしまえば継承です。
この継承というテーマを、ジャックは診療所での生活で獲得していきます。ジャックは特にノーマとフェイの二人から強く影響を受けているため、その二人がどのようにジャックに影響を与えたのか考えていきます。
ノーマは人間時代、湯浅博士に憧れを持っていましたが、彼女が彼にその思いを告げることはなく、彼は感染者の襲撃で死亡します。この時に、彼女にとっての世界は一番大切な人がいない場所になります。これは本編後のアリスにとっての世界と重なります。そんな世界でアリスが何を考え、どのような行動をとるのかは後に触れます。
では、ノーマはどのように生きることを選択したのか。それは、世界を救うというものです。この選択には湯浅博士の死も多分にかかわっていると考えるのが自然ですが、病気に対する憎悪の描写の少なさや、ミケズへの態度などから、彼女の目的である世界の救済の本質は、少なくとも本編開始時点には復讐ではない何かもう少しポジティブなものであると感じられます。
ここをもう少し掘り下げる場合、共通ルートと個別ルートの描写を振り返る必要が出てきます。共通ルート時点でのノーマの暮らしは一番大切な人がいないものですが、彼女はある程度それを楽しんでいるように読み取れます。しかし、個別ルートで彼女は自らの寿命がもう長くないことをジャックに告白し、それに抵抗することを唱えるジャックへの返答として「もう少しあきらめを悪くしてもいいかも」というような発言をします(はっきりと覚えていないため、再プレイ時に修正します)。
この流れからは、ノーマの人生、あるいはネコ生は喪失の延長線上にあったということがわかります。そんな彼女が生き続けた最大の理由は、考えるまでもなくミケズの存在でしょう。双子は湯浅教授の忘れ形見であり、そんな子たちを守らなければという強い意志が彼女をぎりぎりで立たせていたのでしょう。
しかし、トゥルールートでノーマは暴走したウミを猟銃で殺害します。その理由は、ウミの生命の価値よりフェイのそれのほうが高いという、きわめて合理的で冷酷なものでした。一番大切な人であった湯浅教授はもうこの世にはおらず、その忘れ形見とともに穏やかに死へと向かっていた彼女にウミを殺させたのは一体何だったのでしょうか。
これを私は、継承への意志だったと考えています。湯浅博士の人物像は本編ではほとんど描かれていませんが、人類を救おうとしていたのは間違いないでしょう。その意思をノーマは受け継ぎ、そしてジャックとアリスへ託します。
なぜ彼女が継承に価値を感じるようになったのかは、ミケズの成長から読み取れます。彼女は双子を自らの子供のようなものとして溺愛しており、また、彼女たちが持っていて自分が持っていない正直さをうらやましいと発言しています。つまり、成長した双子はノーマの世界にない価値を新たに生み出しているということになります。それにノーマは希望を見出し、世界を救っていろいろなものを後につなげていこうという意思を確固たるものへと転化させたのだと考えられます。
その結果としてノーマはウミを殺さなければいけなくなるわけですが、アリスを除いてこの先長く生きられる望みは薄かったとしても、希望のために希望を持つきっかけとなった、それも我が子のようにかわいがっていたウミを殺すというのは非常に皮肉な話です。
ウミが死んだのちにはノーマも衰弱が進み、死に至るわけですが、彼女の死に顔は眠るようなものだったとジャックのモノローグにあります。これはツバメの最後に重ねることができ、湯浅博士という王子のツバメとして飛び回った彼女の波乱万丈の生はここで終わりを迎えることとなります。
フェイがジャックの最終的な決断に与えた影響も決して小さくはありません。フェイは、ジャックにとって単なる患者同士あるいは助手と患者という関係の相手ではなく、誰かを大切にすることがそのまま責任を引き受けることなのだと教える存在でした。彼女の強い感情や執着に向き合う中で、ジャックは、他者と関わることが自分の行動に重みを持たせるのだということを少しずつ理解していったように思えます。
その経験があったからこそ、ジャックにとって世界を救うという行為は、単に正しいから選ぶものではなく、フェイのような誰かの未来や時間を守るために、自分の死を引き受けるべきものへと変化したのではないでしょうか。フェイとの関係は、ジャックにとって「自分が消えることで誰かが生きる」という選択を、空論ではなく手触りのある現実として理解させる契機だったと言えるでしょう。
また、フェイはトゥルールートで適応者として命を落としますが、その際にジャックにこのような言葉を残しています。
「あたし…今…すごく怖い」
「でも…少しだけうれしいんだ」
「あたし、これまでいつもいつも…この世界の中で自分がいらないんじゃないかって不安だった」
「これってさ…あたしだけの個性的な悩みなんかじゃなくって…誰だって同じように悩むと思うんだ」
「何千何万の同じ悩みの人がいる中で…あたしはその不安を消してもらえる」
「だって…あたしが…あたしの命が…世界を…救う」
「あたし…必要だよね?」
(『ネコっかわいがり!〜クレインイヌネコ病院診療中〜』トゥルールート the 7th day より)
ジャックはこの言葉に「当たり前だ」と返し、もしこの世にこんな理不尽な悲劇が起こらなくともフェイは必要だと考えます。
このやり取りを通してジャックは、世界を救うという行為が、抽象的な大義のために命を差し出すことではなく、目の前の誰かが「必要だ」と思えるだけの重さを持った存在であることを引き受けることなのだと改めて実感したのではないでしょうか。フェイの言葉に対して「当たり前だ」と応じることができたのは、ジャック自身がすでに、相手の不安や生の実感を丸ごと受け止める側へ立っていたからだと思います。
さらに言えば、この場面はジャックに、自分が消えることで残るものを、ただの結果ではなく、誰かの確かな生として捉えさせる契機にもなっていたように見えます。フェイの命が世界を救うのだとしたら、それは彼女が犠牲になるから価値があるのではなく、もともと彼女が必要な存在だったからこそ、その命とそれが救うもの、そしてそこから生まれるものに意味が生まれるのだということです。ジャックはそのことを、フェイとの関係を通して理解していったのだと思います。
こうした二人の生きざまを見届けたことで、ジャックは世界を救う意味を、単なる自己犠牲ではなく継承として捉えるようになったのだと感じます。ノーマは、失われたものを抱えながらも、なお双子や診療所の人々へと何かを託し続ける生き方を示しましたし、フェイは、自分の命に本当に意味があるのかと怯えながらも、それでもその命が世界を救うのだと受け止めようとしました。
この二人の姿を通してジャックが学んだのは、世界を救うとは、誰かの命をただ消費することではなく、誰かが抱えていた不安や願い、そして日常の手触りを次へ渡していくことなのだという実感だったのではないでしょうか。ノーマが示したのは、喪失のあとにも何かを残すことの意味であり、フェイが示したのは、不安を抱えたままでもなお自らの命に意味を見出そうとすることの意味でした。ジャックはその両方を見届けたからこそ、自分が世界を救うことを、抽象的な正義ではなく、継承されていく生の連なりとして引き受けるようになったのだと感じます。
このような思考の変遷を経て、優作は命を捧げるわけですが、残されたアリスは何を考えたのでしょう。私は、アリスは優作の死をただ悲しむだけではなく、その死をどう世界の側に接続し直すかを考えていたのだと思います。本編と後日談を踏まえると、彼女は優作の犠牲をアリス一人のためのものとして閉じるのではなく、これから生まれてくる命や、日常の継続へと開いていったように見えます。
本編で優作は、世界を救うことを義務として引き受けながらも、その根底にはアリスの存在がありました。彼は「自分がやるしかない」と言い、自らの命を差し出しますが、それは抽象的な正義ではなく、アリスを含む誰かの未来を守るための決断でした。その決断は、アリスに「なぜ自分のためにそこまでしたのか」という喪失感と同時に、「その選択を無駄にしないために自分は何を残すべきか」という問いを残しました。
この問いへの答えとして印象的な独白を後日談で見ることができます。
「これから生まれてくる子供たちもわたしたちのように恋をする。それだけで世界は続く価値がある。そうでしょう、優作?」
(『WHAT A WONDERFUL WORLD』CHAPTER12 “What a wonderful world ”より)
これは優作の死を経たうえで、なお世界を肯定しようとする言葉です。ここでアリスは、世界を救う理由を単純な義務ではなく、恋をする子供が生まれるからという自らが感じた価値の延長に置き換えています。つまり優作の死によって、彼女は世界の価値を失ったのではなく、むしろ日常の延長にある未来の価値を見つけたのだと考えられます。
さらに言えば、アリスにとって優作の死は、喪失であると同時に継承の始まりでもありました。本編でノーマやフェイが示した、誰かの生が次へ渡される感覚を、今度はアリスは自分の側で引き受けることになります。優作が命を捧げたことで、アリスは残された側として、世界を守る責任を、その先の生を肯定することへと変えていったのでしょう。
そのため、前述したノーマの喪失後の生と同じように、アリスが考えていたのは、優作の不在をどう埋めるかではなく、優作がいなくなったあとでも世界を続ける理由は何か、ということだったのだと思います。そしてその答えが、後日談で示される次の世代も恋をするという確信でした。優作の死は大きな痛みですが、その痛みの先に、アリスは世界を続ける根拠を見出したのだと読めます。
つまり本作は、守るべき世界があるから守るのではなく、守りたいと思える世界が日常の中で立ち上がってくる、だからこそ守る、という順序で組み立てられているというように読むことができます。
この点で、散々触れてはいますが、日常パートは単なるサービスシーンの連続ではなく、終盤の意味づけを支える基礎になっていると言えます。患者とのやり取り、雑多な共同生活、何気ない情の往復が積み重なることで、プレイヤーはこの場所にある生活の価値を実感します。その積み重ねがあるからこそ、世界を守ることが抽象的な大義ではなく、具体的な顔や手触りを持った願いとして立ち上がります。
また、後日談は本編の意味をひっくり返す装置というより、むしろ本編で読み取れる主題を補強する念押しとして機能しています。つまり作品は、後日談で初めて成立するのではなく、本編の段階ですでに、喪失を抱えながらも継承されるものという筋道を提示しています。そのうえで後日談が、共同体の広がりやその後の時間を補足することで、テーマをより明確にしているのです。
一方で、描写不足を感じる部分があるのも事実です。特に、日常パートの中でもう少し生活の喜びそのものにキャラクターたちが思索を巡らせる場面があれば、作品の主題はさらに強く立ち上がったでしょう。ここは明確なウィークポイントであり、作品が書きたいことは明確である一方、そこへ至る過程の描写がやや足りず、結果として読解に少し努力を要する、という評価につながります。つまり本作は分かりにくいですが空虚ではなく、むしろ核心はあるが可視化がやや粗いタイプだと言えます。
まとめるなら、『ネコっかわいがり!』は、かわいい世界観や淫靡な関係性を入口にしつつ、その奥で「世界を守る理由」を問う作品であるように感じました。『幸福な王子』の引用は単なるオマージュではなく、奉仕・犠牲・継承という主題を再編成するための装置として機能しています。そして日常パートは、その主題を空疎な理念ではなく、共同体への実感へと変えるための土台になっています。分かりにくさは残りますが、少なくとも作品は、書くべきことをちゃんと書いていると言えるでしょう。












